夢■黒澤明クロニクル~28
本作からの大きな変化が2つ。
脚本を単独で書くようになったこと。そして音楽(それも通俗名曲)をアレンジや原曲をもとにしたパロディにせず、そのまま使うようになったこと。
これら2つがことごとく裏目に出ています。
最終話の水車小屋のある村に住む老人の口を借りて、この老人が住む村は医療施設などないから皆長生きできるというようなことを述べていますが、これには驚きました。果して本気でこんなことを考えているのでしょうか。
たしかに薬の副作用や院内感染などといった医療問題はありますが、それはあくまでも医療が高度化した副産物であるにすぎません。99のプラスに対して1のマイナスが発生したというだけのこと。その1のマイナスを針小棒大に扱われてはかないません。
もしも老人が語るようなまったくの無医村があれば、そこはコレラとか日本脳炎などといった、人類が克服してきたはずの病気が蔓延し、百歳までの長命どころかいまごろは一人も生き残っていないはず。
つまり現在のアフリカのような状況が理想だというのでしょうか。
万事がこんな調子の「夢」づくしです。
原発事故のエピソードについてもしかり。大事故を起した電力会社の社員(らしき)に、しきりに詫びさせていますが、どうして"社員"が謝らなければならないのでしょうか。
この社員の運用上のミスで大事故を起したのならばともかく、どうもそういう立場の人間でもなさそう。
電力会社の首脳陣やそれを管轄する立場の通産省(現国土交通省)の役人が悪いというのならばともかく(それとて疑問を感じますが)、組織に所属しているということだけで、悪者扱いにしようとようという感覚がまったくわかりません。
そもそも、サラリーマンにとっては会社から命じられた仕事をしているだけという意識しかありません。その仕事が社会的倫理に反することをしたなどという自覚などきわめて少ないといっていいでしょう。現場の人間にとってその仕事が社会的にどのような悪影響を与えたかなどの意識などまったくといっていいほどないはず。
極端な話、詐欺商法の会社のセールスマンにしても同じでしょう。彼らにとっては、顧客にしろ地域住民にしろ、あくまでも商品でしかないのですから。
もしも自分が井川比佐志の立場ならばこう思うでしょう。会社のおかげでとんでもない騒動に巻きこまれた、俺こそ一番の被害者だ! と。
この人はこういう社会的なテーマとなると、なぜかとたんに近視眼的になるようです。
とはいうものの、確信犯的なプライベートフィルムですので、それなりに割り切ってみれば面白いのかもしれませんが、どうひいき目に見ても共感は覚えられません。
よくいわれる映像美も、前2作どころかモノクローム時代の作品にくらべてもかなり落ちます。
春の表現も、月並なものにとどまっていました。岩井俊二の『四月物語』などと比較してみると、その差は歴然としています。
もっとも、出征軍人のエピソードはちょっと興味深く感じました。
黒澤は出征経験はないはずなので、あれはひょっとして国策映画『一番美しく』を撮ったことへの悔悛ではないかと……。









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